Paranoia Diary

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知恵とポジティブでサバイブしろ! -火星の人 書評-

 食料に限りがあり、周りには生命もなく、なおかつ助けは1000日も後、かろうじて生き延びるだけの僅かな空間と外に広がる生存が絶望視される世界に閉じ込められたとして、人は生きて行けるだろうか。過去に様々なサバイバルもの作品はあったが、その中でもぶっちぎりで悲壮感たっぷりの設定である。火星の大地に置き去りにされた宇宙飛行士の壮絶なサバイバル記、それが今作、「火星の人」だ。

 インターステラーでクズ宇宙飛行士を演じたマット・デイモンが主人公を演じた映像化作品「オデッセイ」は残念ながら公開中に見に行く事ができず、ソフト販売やレンタル待ちであるが原作は買って読んだ。ここまで夢中になってSFを読むのはどれくらい久しぶりだろうか……と思うほどページをめくる手が止まらない良作だった。

  前述のとおり、設定は驚くほどシビアだ。主人公のマーク・ワトニーは火星有人調査の際に砂嵐に巻き込まれ、他のクルーと共に退避する際に飛んできたアンテナにぶつかってしまう。腹に穴が空き昏倒した彼をクルー達は死んだものと判断し、苦渋の決断で火星を後にする。だがワトニーは生きていた。

 考えるだけで身の毛のよだつ最悪の設定である。しかしワトニーには最大の武器があった、それは知恵と底抜けのポジティブだ。置き去りにされて最悪だと悲観したワトニーは、そのまま基地で1人寝てから対策を考える、「とりあえず寝てから整理しよう」という考え方だ。それから怒涛の勢いでワトニーのポジティブと知恵が炸裂していく。不毛の大地である火星でサヴァイブし、生きて地球へ帰るために。

 これほどまでに前向きで励まされる物語はかつてあっただろうか。困難を前にしたワトニーはとにかく前向きな心を忘れずに訪れる危機を知恵と併せて突破していく。食い足りない食料をクルーの糞便を利用して栽培したジャガイモで乗り切る、地球の通信を回復するためパスファインダーを探しに旅に出る、空気や水を作り出すために危険な賭けに出る。そんな中で「俺はもうダメだ、死ぬしかない」と自殺を考えるような事は一切しないのだ。頭を抱えはしても前向きな心で困難を笑い飛ばしながら、生きて帰る、ただそれだけの為に全力を尽くしながら前へと進んでいく。

 しかし、そんな悲壮さを忘れさせてくれるほどのユーモアも存在する。物語は三人称による地上・宇宙船搭乗員たちのパートと、ワトニー目線でのログエントリーから構成されている。そのログエントリーにおけるワトニーの軽妙な語り口と挟まれるジョーク、そして事の深刻さを全く感じさせない前向きな姿勢が相まって見ていてクスッと笑わせてくれる。火星でのサバイバルも案外楽しいのでは?など思わせるほどのユーモアが深刻な物語に頭を抱えさせないように働きかけてくれるのもいいし、読んでいて実に楽しい。

 また、ワトニーのみならず地上の人々のドラマも同時進行し話を盛り上げていく。火星に取り残されたワトニーをいかに地球へ帰還させるか……アポロ13号以来の難題と向き合う人々のプロジェクトXのような壮大なドラマもまた今作の見所の一つである。映画のキャッチコピーに「70億人が彼の帰りを待っている」とあったが、まさにその通りのドラマがあり、見ていて目頭が熱くなる展開もある。

 また、今作から得られる物も大きい。「難題にぶち当たったらとにかく根詰めずにとりあえず寝てから解決にあたる」「無理しすぎるとよくないので休む時には休む」「常に前向きな姿勢を忘れないこと」など、ワトニーの行動や哲学には普段忘れがちな大切な事も詰まっている。科学知識も満載なので実際に火星で遭難した時はちょうどいい指南書になってくれるだろう。

 哲学的な要素や宇宙の神秘、未知の生命体や惑星間の戦争などもない、単なる宇宙遭難記でしかない地味な題材ながら、高度に完成されたすばらしいSF小説である。映画は見たけど原作は……という人や、映画と小説どっちも見てないという人にもバリバリお勧めしたい一作である。映画もいずれ見たいな……

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)